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ゆるゆるの旅〜その11 [ゆるゆる旅日記]

前回のお約束通り、今回はフィンセント・ファン・ゴッホの作品をご紹介致します。



↑『麦藁帽子の自画像』。

……と綴り始めてから、早数ヶ月。そのままになってしまっておりました;(ゆるゆるどころか、途絶えてしまっておりましたね;;;申し訳ございません;;;以前の記事が気になる場合はカテゴリーの中にございます、『ゆるゆる旅日記』をご覧下さいませ。)
気を取り直して(苦笑)、ゆるゆるとまた私の美術館(大塚国際美術館)廻りにおつきあい下さいませ。(作品のタイトルは全て大塚国際美術館で紹介されている通りの表記になっております。)

さて、後期印象派を代表するオランダの画家、ゴッホ。



↑『自画像』。

伝道師を志した時にも、その常軌を逸した熱心な活動ぶりに資格の更新を受ける事が出来ず、その道を断念、絵画の勉強をしながら国内を転々とすることになります。
そして弟のテオの世話を受けながら、様々な画家や作品を知ってゆく事になります。
また当時の流行でもあった浮世絵に触れたゴッホは、日本に対して光の国というイメージを抱き、強い憧れを抱くようになります。
そして、その光を求めて、(日差しの強い南仏の)アルルへと旅立つことを決心するのです。
今回私がご紹介出来る作品はそのアルル時代からのものになります。



これは『アルルのゴッホの部屋』。アルルでのゴッホの寝室ですね。

ここで、しばらくは静物画や風景画などを描きます。そして次第に近しい人などの肖像画が増えてきます。
そうこうしているうちに経済的に困窮を極めていたゴーギャン(ゴーガン)が、ゴッホの弟テオの援助を受ける事の出来る生活に魅力を感じてアルルへとやってくる事になります。



この頃、水面に映る光が何とも美しい『ローヌ川の星月夜』が描かれています。

ゴッホはゴーギャンとアトリエの黄色い家で、いそいそと共同生活と創作をはじめます。



ゴッホの最も代表的な作品の一つ、『ヒマワリ』。
ヒマワリを題材にした作品はアルル時代においては6点を描き上げています。
ゴッホ独特の厚く盛られたように塗り重ねられた絵の具には彫刻のような趣さえ漂い、生命力やたくましさ、わき上がってくる感情のようなものとともに何とも力強く伝わって参ります。
(私のIXYの腕前はこの時初めての撮影だったということをご了解下さいませ;せっかくの作品の迫力がこの写真ではあまり伝わってきておりません;)
黄色い家に訪れるはずだった、多くの画家仲間たち。
(ヒマワリはその仲間たちを現しているとも伝えられています。)
しかしながら、ここに訪れた仲間はゴーギャンただ一人でした。
最初のうちは一緒に散歩をしたりしながら、お互いの個性を影響させ合いながら2ヶ月半の時間が流れてゆくことになるのですけれど……。
お互い突出した個性の持ち主、ぶつかり合わないはずがありません。
クリスマス・イブの前日。
彼らは激しい喧嘩をします。その直後、ゴッホは自らの左耳の下の部分を切り落としてしまうのです。
ゴーギャンが駆けつけ、意識不明のゴッホを病院へ、そしてテオへ知らせます。
こうして、ゴーギャンとの日々は衝撃的にも悲しく終わりを告げる事になります。
太陽はやはり2つはいらないのですね。しみじみ、そのようなことを感じてしまいました。

またゴッホにはミレーやレンブラント、ドラクロワなど、他の画家達の作品の模写も知られています。これは『種まく人』という作品で、ミレーの作品の模写です。



美しい色彩に何とも心引かれ、どれだけ見つめておりましても飽きない感じが致します。


その後、カミーユ・ピサロのすすめで精神科医の元での療養に訪れた、オーヴェールの街。



↑これは『オーヴェールの教会』という作品。

制作は順調に続いていたものの、テオとの不仲が表面化してきます。
そしてその年の7月。自らピストル自殺を図ってしまうゴッホ。

その11年後、タヒチで孤独な死を迎えようとしていたゴーギャンは、ゴッホを思いながら、2枚のヒマワリを描いています。(残念ながら、それらの作品はこちらの美術館にはございませんでした。)




……さて、ようやく印象派のご紹介を終える事が出来ました。(簡単すぎますけれど(////)~☆)
次回はいよいよ象徴主義へ。しつこく(笑)ゆるゆるの旅は続いて参ります.*:。.☆















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